くまもと伝統工芸品復興一途|くまもとの伝統工芸を知る
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熊本県の伝統的工芸品指定要項により指定された工芸品の品目は約90品目に及んでいます。約30年以上の歴史があり、伝統的な技術や技法で作られているものなどが指定の要件となっています。その種類は、金工品、木工品、陶磁器、染色品、紙工品、竹工品、郷土玩具、その他和楽器などがあります。熊本県は自然と素材に恵まれており、作る人と使う人とのコミュニケーションによって、作ったり作り直したりして土地の人のモノを作るという生産形態が、今なお数多く残されています。他県の優れた伝統工芸技術の多くが、土地の暮らしの道具ではなく大消費地へ売るための産地となっているなかで、これは極めて貴重なことといえるでしょう。
伝統的工芸品の国指定とは、伝統的技術又は技法が100年以上の歴史を有し、一定地域で産地が形成(10社、又は30人以上の従事者)されているもののなかから法令要件を満たすものについて、国が指定する制度です。 熊本県では平成15年3月に小代焼・天草陶磁器・肥後象がんの3件が指定を受けました。また、平成25年12月には、山鹿灯籠が本県4件目の指定を受けました。
熊本県には、豊かな自然、職人の技、人々の暮らしの知恵から生まれ、育まれてきた暮らしのなかで使われる工芸品が、今も多く残っています。作り手と使い手のコミュニケーションからつくられる工芸品は、暮らしのさまざまなシーンに、豊かな表情を与えてくれます。現代の職人の技から生まれるみずみずしい工芸品の「あたたかさ」や「使いやすさ」を暮らしのなかでぜひ楽しんでください。
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象がん
熊本県の工芸品の代表にあげられる肥後象がんは、地鉄に金銀をはめ込み様々な模様を表現する工芸品です。肥後象がんは、約400年前の江戸時代初期に、鉄砲鍛冶が鉄砲の銃身や刀剣の鐔に装飾として象がんを施したのが始まりといわれています。特に、細川忠興が時の名匠を召し抱えて刀剣金具の製作にあたらせ、技量の奨励をはかったため、鐔や刀装金具類など数多くの名作が産み出され、全国的にも「肥後金工」として高く評価されました。江戸時代の金工には、肥後象がんの始祖といわれる林又七を始めとする林家をはじめ、西垣、平田、志水の4家と幕末の神吉家があげられます。明治維新の廃刀令を受けて刀剣金具の需要が減りましたが、その技術を生かした装身具などが作られるようになりました。昭和には、国の重要無形文化財保持者に認定された米光太平や、県の重要無形文化財に認定された田辺恒雄らにより後継者の育成がなされ、肥後象がんの技術が伝えられています。
技法には、布目象がん、彫り込み象がんなどがありますが、現在、多くは布目象がんの技法で製作されています。黒い鉄地の中に金銀の装飾がはめ込まれ、武家文化の伝統を感じさせる重厚感・高い品格が感じられる文具や装身具が作られています。 -
陶磁器
熊本の近世の窯業は、約400年前に始まったといわれています。1632年(江戸時代初期)、細川家が肥後に入国した際、陶工たちも県内に移り住み各地に窯を築きました。八代の高田焼、荒尾玉名の小代焼は、藩の庇護を受け、茶道の道具を中心に発展しました。その他、松橋焼(宇城市)、肥後藩唯一の白磁窯の網田焼(宇土市)や、水の平焼(天草市)、高浜焼(天草市)、丸尾焼(天草市)などがありました。
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木工・竹細工
江戸時代から豊富な資源をもとに盛んに木工品が作られており、人吉球磨地方の挽物や箪笥などの家具類、熊本市川尻の桶・樽などが有名です。また、象嵌の技術を施した指物や欄間彫刻などが作られています。
竹細工の職人たちは、かつては村々を回り注文に応じて仕事をしたり、竹林に工房を構えたりしていました。
八代市日奈久では、湯治客の土産物として盛んに竹製品が作られました。明治時代には他県から教師を呼び、小学校の職業課程で、油抜きした竹で作る弁当箱や祝儀の時に進物用の魚を入れる魚籠などの角籠作りが教えられ、丸いざるなどに加えて角籠も多く作られるようになりました。
その他、天草市本渡町、熊本市でも漁具やざる、花器など生活用具を中心に作られるほか、山鹿市ではクラフトの要素を取り入れたモダンな竹籠も作られています。 -
刃物
かつて各地の農村には生活必需品の鍬・鎌・包丁などを作る鍛冶屋がおり、刀鍛冶と区別して野鍛冶と呼んでいました。
熊本市川尻は、室町末期からの鍛冶屋町で、江戸時代には肥後藩の造船所が設けられて、鍛冶が盛んになりました。特に包丁を主力とする川尻刃物は有名です。人吉市鍛冶屋町は約800年前の鎌倉時代に作られたといわれています。60軒程の鍛冶屋が、平時は農作業の刃物を作り、戦いが始まると武具を作っていました。昭和初期まで多くの移動型鍛冶屋が集まっており、球磨地方から宮崎県にかけての農村を廻って農具や山仕事用の鉈や斧を作ったり修理したりしていました。
その他、宇土市、美里町、八代市などでも手打ち刃物が作られています。鋸は、現在鍛造による製造が少なくなるなか、人吉市で昔ながらの製造法を用いて作られています。主材料は安来鋼で、鋸の切れ味を増す工夫がなされています。 -
染め・織物
五月節句幟:約100年前(明治時代末~大正)から、八代市鏡町や熊本市川尻で五月節句幟が作られてきました。ボカシや重ね塗りなど手描きの特徴を生かし、武者絵や鯉の滝登りを描いた昔ながらののぼりが作られています。
花ござ:熊本県のい草生産は、八代地方を中心に日本一の生産量を誇っています。
その八代地方のい草を原料として、畳表とともに花ござが明治時代から織られてきました。赤、青、黄色など色鮮やかに染色されたい草を用いて織られている花ござは、吸湿性に優れていて肌触りが良く、敷きござや寝ござとして愛用されているほか、ランチョンマットやコースターなども作られています。 -
玩具
郷土玩具は、身近な材料を使い、こどもへの思いや健やかな成長を願って作られたものが多く、郷土色豊かな玩具が伝承されてきました。
熊本市のおばけの金太、人吉市のきじ馬や花手箱などは個性あふれる玩具です。玉東町の木葉猿のように、縁起物だったものが玩具として有名になったものも少なくありません。八代市にはおきん女人形、板角力人形などがあります。
てまり類は、女性の遊び道具として愛され、江戸時代から武家の婦女子のたしなみとして作られてきたといわれています。
この他、タヌキの置物が4つのコマに分解される彦一こまなどがあります。 -
その他
屋根飾瓦細工:宇城市小川地区で産出する良質の瓦粘土をヘラで形を整え、乾燥した後、磨き焼き上げます。鬼瓦、置物として利用されています。古寺の瓦を葺き替える時、鬼瓦の裏に製造年月日がかかれていることがありますが、それによると200~300年も前の鬼瓦が雨風にさらされながら現在も使用されていることがわかります。従来、宇土・小川地区では、良質の瓦粘土が産出され、それを利用した生産技術が伝承されています。
その他に、掛け軸や屏風、襖や書画などの表装、修復を手掛ける職人なども健在。